こんにちは!
フリーアナウンサーの石川奈津紀(いしかわなつき)です。
プロフィールをお読みいただいた方はご存じかと思いますが、
わたしは大学卒業後、一般企業の社会人を経て、アナウンサーになりました。
アナウンサーのお仕事を始めてから出会った方にはよく
「大手会社員からアナウンサーって珍しいね!」という反応をされます。
そこで、今日は
なぜ、社会人からアナウンサーになったのか?どうすればなれるのか?
をお伝えしていきます。
社会人からでも、アナウンサーになれる!
わたしは、実は社会人のスタートは一般企業。NTT東日本という会社で、インターネットの営業をしていました。
いわゆるマス営業で、代理店販売の支援などをしていました。
実は、大学3年からアナウンサー試験は受けていました。でも、内定をつかめなかったんです。
というのも、一般企業も受けていた大学3年の終わりごろ「やっぱり、アナウンサーになりたい!」と思い、試験を受け始めたものの、もちろんキー局の試験は終わっているし、スナップ写真もほとんどない。
そんな状況のまま試験をうけていました。
アナウンススクールには通っていましたが、心のどこかで
「アナウンサーになれたらいいな」
「でもなれないかもな」
そう思っていたのかもしれません。
大学に入学してすぐ、勇気をだして友達に
「アナウンサーになりたい」という話をしたときに
「活舌悪いし、無理だよ。やめておいたら?」
と言われた経験があったのです。
そんなこともあり、
「なれたらいいけれど、本当になれるのかなぁ」
と思いながら受けていました。
もちろんそんな状況でうけていたのだから、受かるはずもなく。
周りは、東京のキラキラした「ミス〇〇大学」の女の子たちに圧倒されてばかり。
数局だけ、運よくカメラテストや最終試験に残れたことで
モチベーションを保っていたのでした。
「楽しいけれど、なんだか違う」会社員時代
結局アナウンサーになることはできず、一般企業に入社し、
大好きな地元・仙台に配属になったことでプライベートも充実していました。
ただ、心のどこかで「アナウンサーになりたい」という思いをあきらめきれないまま、
社会人1年目のおわりごろから再び試験を受け始めました。
100局落ちてもアナウンサーになれた理由
結局、社会人2年目の冬にようやくNHKのキャスターとして内定をいただきました。
24歳のときです。
大学3年から応募書類を出した局、ざっと100局。
ちなみに内定をもらったNHK山形は、その前にも書類を出していたことがありました。
何がどうなるかわからないものです。
わたしがアナウンサーになれた理由は、たったひとつだけ。
「アナウンサーになるまで試験を受け続けたから」
これに尽きます。
大学3年から4年間、およそ100局受けてやっとなれたんです。
当時採用してくれた局の上司には感謝しかありません。
…あなたはどうですか?
10社、20社落ちて「わたしなんてアナウンサーになれない」
と思っていませんか?
わたしがたくさん受けたからスゴイ、というわけではありません。
いままで受からなかったのは、ご縁がなかった。
1局たった1人しか採用しないアナウンサーの世界で、選ばれるのは
わたしは婚活みたいなものだと思っています。
相思相愛になる局がみつかるまで受け続ける、ただそれだけのこと!
もちろん、自分のやりたいことがきちんと伝えられていたらもっと早くアナウンサーになれたのに、と思うこともありますし、
ほかにもマインドの変化や試験対策なども大きな要因ではありますが
そこについてはおいおいお伝えできればと思っています。
では、長々と読んでいただきありがとうございました💕